エリック・クラプトンー成功の影の痛み

 

ご無沙汰しております。

2023年の来日直前に、図書館に予約をしたら意外にもすんなり借りられました。

『エリック・クラプトン自叙伝』シンコーミュージック 2019年

長らくブログを放置していましたが、その間、FBに投稿した記事からです。

 

その年、彼の武道館でのコンサートは100回目でした。

ちなみに、武道館で100以上の公演を行った他のアーティストは、2024年現在、矢沢永吉、松田聖子、THE ALFEE、藤井フミヤ だそうです。(Wikipediaより)

 

E・クラプトンは、自叙伝が出された2007年時点で「ほとんど耳が聞こえない」と書いています。

(何を隠そう、私は今、音楽家向けの、耳、喉、鼻の本を書いております)

彼は、クリームやデレク・アンド・ザ・ドミノスの解散、Laylaのギタリスト、デュアン・オールマンの死が重なったせいか、20代後半から薬物とアルコールに浸りました。

アルコール性障害に陥り、絶望感に襲われ、自分の人生がどれほど惨めなのかを感じていたのでした。

 

『音楽を聴くことは、音楽を演奏できるようになることと同じくらい大切だった。

これまでの人生を通じて、自分を助けてくれた新旧さまざまな曲があった。

うまく演奏できない時や、まったく演奏していない時期でも、それらの曲があったからこそ乗り越えることができた。

マリア・カラスの歌や、トミー・マクレナンの演奏などがそうだった。

ドラッグ漬けになっていた70年代初め、特に心を揺さぶる音楽は、何を聴いても涙が出てきた』

 

クラプトンは、1998年に依存症患者の治療施設「クロスロード・センター」を設立します。

センターのためのチャリティ・コンサートには、ブルースを主体にジャズ、カントリー、ソウル系のミュージシャン(テデスキ・トラックス・バンド、ボニー・レイット、トム・ミッシュ、バディ・ガイシェリル・クロウジェフ・ベックなど)が集まっています。

 

エピローグより

『音楽はいかなることも乗り越えて、常に神のように存在している。

助けも必要なければ、どんな障害にも負けはしない。

それはいつも私を見つけ出してきたし、神の祝福と許しとともに、ずっとそうあり続けるはずだ』

『エリック・クラプトン自叙伝』シンコーミュージック 2019年 より

 (2007年、自らの人生を赤裸々に綴った初の自叙伝の翻訳)

 

Rolling Stone Japan のインタビューより、引用です。

ーアルバム『I Still Do』(2016年)の裏ジャケットには、フィンガーレスグローブをはめてギターを弾く姿が写っています。

E・C「レコーディングに入った頃、頭から足先まで全身に湿疹が出て、手の皮も剥けてきていたんだ。

手は絆創膏だらけでミトンをはめなければならないほど酷かった。

だから結果としてスライド・ギターが多いんだ」

 

ー 2017年の春と秋のコンサートでは、グローブをはめていませんでした。

E・C「今、両手の具合はいいよ。完治したんだ。軟膏は塗っているけどね。もう歳なんだよ」

ー病気や年齢のせいでギターがもう二度と弾けなくなる、と思ったことはありますか?

E・C「そうなっても構わない。僕は受け入れるよ。ギターをプレイするのは難しいことだから」

『エリック・クラプトンが語る、薬物依存、クリーム時代、ギターの未来』 2018/01/03

 

1945年生まれ、2024年現在は79歳。

年齢とともに、身体的にも技術的にも難しいことが出てきます。

幼い息子だけでなく、活動を共にしたプロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー(2022年に逝去)、ジェフ・ベック(2023年1月逝去)の死…

長く生きていると、音楽の先輩、一緒にやってきた仲間、肉親を失うという、耐え難い痛みを抱えて生きなければならなくなります。

悲しみ、辛さを埋めるのが、ギターとブルースなのかもしれません。